「好きでもない男たちとセックスするということ」 またその後に起こった心境の変化【神野藍】
神野藍「 私 を ほ ど く 」 〜 AV女優「渡辺まお」回顧録 〜連載第17回
【好きでもない男たちとセックスするということ】
とあるシーンというのは、映画に登場する歌手を夢見るサンディが、「歌手になるためだから/みんなそういうことを理解してここにきている」と男たちに諭され、好きでもない男たちとセックスしなければいけないという内容のものだ。そしてセックスを求めてきた相手は全て顔のない存在として描かれる。サンディは相手を顔のないものとして認識する、つまりは個々の人間として区別しないことで、どうにかやり過ごそうとしたのだろう。
頭で何かを考えるよりも先に涙が出てきた。私の中で忘却という手段をとって塞いでいた傷口がぱっくりと開き、「ああ、こんなところにも自分じゃ分からなかった傷があったのだ」と気がついたのだった。
その状況の全てが私に当てはまるわけではないが、そのシーンを観たことによって過去の心を殺してやりすごした経験が思い起こされたのだろう。そんな風にどうにかやり過ごしたことを、ふとしたきっかけで思い出すのは割とよくあることで、かつそれらは全て前触れなくやってくる。きっとこれまでは「やり過ごす」「忘れる」「考えないようにする」というのが自分なりの解決手段であったが、それらの突貫工事も時が経てばいずれ綻びが生じてくる。だからこそ、他のことに目がむき始めた今に、何かの拍子で再び炎症を起こして私のもとに現れる。それらは私に「逃げるな、考えろ」と言っているように感じてしまうのだ。
少し前まではそんな状況やそんな状況に陥るような自分自身も許せなかった。そう思えば思うほど、傷の痛みは増していき、自分に対する評価は下がる一方で、負の連鎖から抜け出せなくなっていた。そういうときに、決まってぱっと出てくるのは「私は汚い」という言葉だった。